父の日に思ったこと

今日は父の日
いつ頃からでしょうか?今朝の新聞ではアメリカが発祥だとか?
 母の日、父の日、敬老の日。子供の日もあるから仕方ないですが、そのうち孫の日というのもできるかもしれません。子供も孫もいない小生としては、永久にお祝いされることがないわけで、これをひがみというのでしょうね。

私の父はその日を知ってか知らずか何も言いません。昔は父の日も母の日もなかったでしょうから。戦時中、そんな余裕もなかったはずですもね。感謝を言いたくても、そんなのは当たり前で、改めて言わなくたってよかった時代なんでしょう。今は言わないとわからないですからね。

私の場合、子供はいないといいましたが、そういえば娘がいました。忘れていました。・・・というと、罰が当たりそうで恐ろしいのですが、どうしていることやら。こんな私では永遠に父といわれることがないのは当たり前ですよね。
もし人生、後悔するとしたら、多分生まれてすぐに別れた前妻の、子供のことでしょう。死ぬ間際、苦しむとしたらこれかもしれない。神も仏もないとしたら、このことかもしれない。

書いてて気が重くなります。読んでる方はもっと気を悪くされるでしょうね。・・・申し訳ありませんお許しください。でも、どうしても書いておきたいことってあるじゃないですか。

一昨年になりましょうか、叔父さんが亡くなった時のことを想い出しました。
叔父さんが亡くなる間際、「もうどうでもいいわ」と言っていたことが耳に焼き付いています。
叔父さんは亡くなる寸前まで、叔母さんのことを心配して「俺はまだ死ねない」と言っていたのです。
でも、それも死が近づくにつれどうでもよくなったようなのです。
果たして、叔父さんの、叔母さんに対する愛情が無くなった訳ではないでしょう。仏さんに近づくにつれ、それは無用の心配だということを悟られたのではないでしょうか?

どうでもいいという言葉は苦しいが故に出た言葉かもしれません。それはそれで分かりませんが、心配しても仕方のないことを、死の間際に於いて冷静に分析できましょうか?亡くなる方にとって今後のことはどうでも良いことなんですよね。今後というもの自体無いわけですから。
残された人のことが心配で、後でこの世に出てくるというのはゴーストの世界で、現生の私達には知る由もありません。

そんな私でも、娘には幸せになって欲しいという人並みの気持ちは持っているんです。1歳の誕生日すら祝ってあげられなかったことは今となってはどうすることもできませんが、その気持ちだけは偽りのないものです。それを伝えられないことが苦しむ原因なのでしょうか?

おかげさまでというか、私はまだ死というものに直面したことはありません。が、それゆえに苦しいのでしょうね。まだ今後という未来が少しでも残されているからでしょう。はかない夢かもしれません。でも、できることなら会って伝えたいものです。・・・許されることではないでしょうけどね。

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