憲法解釈の問題で思う事

昨日、ネット(ヤフー)のニュース欄をチラチラ眺めていますと、今話題の安保法制関連の記事が出ていました。
産経新聞の要職にある方が書かれていたのを見たのですが、どうして、今の自民党政府がこんなに多くの人(新聞で言われている国民の大多数)の理解が得られていないにもかかわらず、かの憲法解釈を含めた法案を強硬に成立させようとするのか?について、なるほど、そういう考えがベースにあるからかもしれないと思いましたので一言書いてみたくなりました。

以下、その要点を(つまみ食いすることになるかもしれませんが、)列挙しますと
・「今回の安保法案を成立させるという事は、日本の法体系を国際社会の標準に近づけること」であり
・「外敵の暴力から身を守りあう仲間のコミュニティに日本も参加すること」を意味する
・「60年安保改定から55年たって、今日の平和な日本を築き上げてきたことは、当時反対した勢力と、強行してでも成立させた、時の政府とどちらが正しかったかは自明の理である」
という趣旨でした。

私はこれを読む限り、瞬間、その通りだと思いました。これはそう言われるとそうかもしれないと。
しかし何か引っかかるのです。何だろう、何かが違うのではないかと思ったのです。

例えば、「日本の法体系を国際社会の標準に近づけること」とされていますが、国際社会の標準とは何なのか?「標準時」と同じように、そういうものだという事を前提に従わなければいけないものなのか?日本の憲法はそれに較べ、あまりに非現実的かつ制約的で、世界の標準に満たず、劣っているものなのでしょうか?
確かに、例えば憲法第9条は今の時代には到底通用しないといわれる方もいます。つまり世界の現勢力の標準に比べあまりに非現実的だと。
世界の中で、小国日本が生きていくためには、今の現勢力を正しく見極め、それに応じた法体系をすることが急務だとする論法かと思います。

しかし、そもそも論かもしれませんが、敗戦国日本が二度と戦争はしない、決して国際紛争を武力をもって解決しないという決意を憲法に現し、未来に誓ったことは、我々日本人が忘れてはならない、まさに共有する理念ではなかったでしょうか。
解釈をもって集団的自衛権を一部例外的に認めたとしても、この理念に反することにはならないと言いますが、他国の自衛と称する戦争に巻き込まれ、集団的自衛権の名のもとに日本国外にて、武力の行使に加担する危険が高まることは明らかです。しかもその判断が時の政府に委ねられるというのです。これは認めるわけにはいきません。なぜならそう判断するのが時の政府だとするならば、憲法に書く意味もなく、まさに立憲主義に反する憲法違反だからです。

核を持つことや武力の拡大、充実させることが「抑止力」となり世界を平和にするという、それこそが世界標準ならそんな標準こそ時代に逆行し、遅れていると言わざるを得ないでしょう。核や武器を多く持った国が勝ちというのが現実であり、仕方がないというのなら、世界平和を希求する我が国においてそれははなから白旗を上げることになりませんか?

日本の首相、リーダーは、その人こそ崇高なる理念を掲げた日本国憲法を世界に広め、それをもって世界標準とすべくリードしていく立場ではないでしょうか。むしろ逆に、単に愚かな戦争ができる、普通の国に日本を近づけてはいけないと思うのです。

また、二点目の「仲間」って何なのでしょう?あの、世界を分断した冷戦時代の勢力図をイメージすればよいのでしょうか?それとも民主国家とはどう考えても言えない、向こう三軒両隣の国と対峙する友達国家のことを言うのでしょうか?

尖閣諸島をはじめとした近海の問題は確かに国家国民を脅かしています。国際社会が脅しに屈するわけにはいきません。
しかしそれはお互いの国の主張を前提とした外交の問題であり、双方戦える集団に参加することによって解決することを意味しません。集団で戦うという事は第三次世界戦争をイメージしてしまいます。一方の勢力の傘下に属することが、相手が手を出すことを抑止するかのようですが、果たしてその保証はあるのでしょうか?
ロシア対ユーロ圏の間でも紛争が起きていることは、周知の事実です。東欧や中東で多くの市民が爆撃に苦しんでいることを、私たちは新聞、ニュースで目の当たりにしているのです。それは外交上での失敗、あるいは敗北と言うべきであり、それこそ核や圧倒的武力を背景とした代理戦争ではないでしょうか?

最後に60年安保の結果に対する評価ですが、当時私はまだ子供から大人になる思春期でした。学園紛争が収まりつつあった頃と記憶していますが、大学に入ってすぐの時、デモに参加したこともありました。京都八坂神社で機動隊に追っかけられたこともあり、すごく怖かったことを覚えています。安保闘争の名残の頃で、事の善悪より何かしなければ取り残されるといった疎外感からでした。

今日の平和国家日本が当時の、安倍首相の祖父の岸内閣により築き上げあげられたというのは否定することはできないかもしれませんが、だから強行採決することが許されるという事にはなりません。結果が良ければ何をやっても許されるという議論になるからです。民主主義の否定につながるのではないでしょうか。

おかげさまで私たちは平和で安全な毎日を送らせてもらっています。しかしそれは岸内閣が強行突破して安保体制を強化できたからというより、歴代の内閣が知恵を絞って多くの国難を乗り越えてきたからであって、この平和憲法の下、優れた諸先輩方の政治、外交の努力の結果と考える方が正しいのではないでしょうか。

それらを含め、戦後の評価やこのたびの安保関連法案に対する評価はまだまだ総括するには早すぎますが、これだけ多くの諸先輩たちが警告を鳴らし、歴代の内閣法制局長官をはじめ多くの法律の専門家が否定する憲法解釈論が、すんなり国会で通るというのはどう考えても尋常ではないと思います。多数を占める与党、自民党公明党の一人一人の国会議員が本当に賛成しているのでしょうか?疑問と言わざるをえません。

政治や外交に疎い私が、生意気にもこのように批判めいたことを公にすることは若干躊躇しますが、言わざるを得ません。こう思っていると言う事を後日に残すためにも記録させていただきたいと思うのです。

また、引用させていただいた記事が、本来の趣旨と異なるかもしれません。その場合、ご容赦ください。


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