100周年記念の想い

今日は、我が町のJR駅、開業100周年記念ということで、駅周辺で開かれるイベントに行ってみようと思っている。

子供の頃、駅前で運送会社を営み、国鉄とはゆかりの深い父との関係もあって、懐かしい思いがあるからだ。
しかし、昨日の父は、「一緒に行くかい?」と誘っても、しばらく考えてはいたもののあまり乗る気ではなかった。
ki-は、父が国鉄出身だしきっと喜ぶはずで、行かないと言うはずはないと、何度もしつこく誘ったけれど、父は最後まで行くとは言わなかった。

その理由とは、寂しいからだという。行っても、こんな高齢な爺さんを知っている者もいないし、ただ行って、声もかけられずに帰ってくるなんて、こんな寂しいことはない・・・というのだ。
「偶然でも誰かに会えるかもしれないよ」と言ってみても、別に招待状をもらったわけでもなし、のこのこ出かけて誰からも相手にされず、かえってつらい思いをするではないかと言う。

正直、意外だった。こんなに弱気な父をかって見たことがなかった。
町でも歴史的に代表的な会社を興し、前々期の?町長の懐刀であったと自称する父は、人前で喋ることが好きで、教育委員長を10年もやったというのが自慢だった。そんな父が、目の前で小さくなって、肩をすぼめながら行きたくないとぐずっている。

歳をとるということはここまで残酷なことなのだろうか?
それとも施設に入れられて、誰も訪ねてこず、一日中テレビを見て、時々おしぼりをたたむ作業を手伝う日課がこうさせるのか?

親戚も大半が亡くなり、数少なくなって、私の従弟も何人かいることはいるが、一度の訪問を受けたことがない。
時々父から「誰々は知らないか?」とか「誰それはどうしているか知らないか?」と聞かれることがあるけれど、あいにく知っていることはほとんどない。

多分、施設に入らず、家にいたとしても、もう父を知っている人も少なくなって、訪問を受けることもないのだろうが、それにしてもこの寂しさはいったい何なのだろう。
父、あるいは私の不徳の致すところと言うべきか?いまさら何を言っていると呆れ返られるのが落ちか?

仕方がない。私たちだけで行ってみよう。そして、もし高齢の人が来てて、父のことを知っていそうな人を見かけたら、「昔、誰それという人がいて、知りませんか?」と聞いてみよう。
何だかまるで「森の石松」の心境だね。
実際、そんな勇気はあるわけないけれど・・・。



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