今はもう秋

昨日あたりから急に涼しくなりました。


日中も15~6度Cなので肌寒いほどです。


暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、まさに実感とするところです。


我が家の庭もふと見ると、オンコの木に実がいっぱいなっていました。


実だくさんのオンコ.jpg


他方あまり実がならない方のオンコの木は、伸び放題のカボチャの葉に覆われていました。


巨大なカボチャの葉.jpgおんこのきとカボチャの葉.jpg


幾度か受粉を試みてみたそうですが、カボチャの実はなりませんでした。


今年は畑の方のカボチャもたくさん転がっていますが、全然小さくてごく少数しか立派なカボチャにはなり切れませんでした。


そのほか枝豆も豊作とはいえず終わってしまいました。


どうも気候不順のせいではないでしょうか?


残念でした。



ところで、


いま、「歴史戦と思想戦」(山崎雅弘著)を読んでいるのですが、


この本によるといわゆる歴史認識というものがいかに「ある思想系」に誘導せんがために


意図的に論じられており、それが一部のメディアをあげて展開されているかということが紹介されています。


日本が戦争を始めてから多くの国民の犠牲によって敗戦に至る事実を情緒的に美化し


その過程は決して非難されるべきものではないという論陣を張っているのです。


大日本帝国という日本本来の固有な国体は日本独自の歴史的価値ある文化であり、決して恥ずべきことではない。


むしろ誇りに思うべきだというのです。


私は正直驚きました。まだこんなことをまじめな顔をして言っている人たちがいるのか!…と。



国民を何だと思っているのでしょうか?


日本に限らず、戦争というのは兵隊さん(国民)をまるで武器・弾薬のごとく使い捨てにして


何の恨みもない相手国国民を殺傷することであり、それが強制される国家的蛮行ではないですか!


敗戦を通じていったい何を学んだのでしょうか。


結果平和主義、基本的人権の尊重、そして主権は国民にあるという世界に鑑たる日本国憲法を勝ち得たのではなかったでしょうか。


彼らは敗戦イコール屈辱であり、日本だけが悪いこと(侵略)したわけでなくむしろアジアや弱小国の解放のため戦ったのだという論法で、


その劣等意識を孫子の代まで継承してはならないと言うのです。


そこに何の反省もなくそれを自虐史観といって蔑むのです。


そしてそれがメディアという組織をもって意図的にキャンペーンを張っているというから驚きなのです。


一部そちら系の論客にそういう論理展開を差し向ける。歴史戦とか思想戦とか称してです。


メディアというものの存在がこれほど怪しく思われることはありません。


もちろんすべてがそういうメディアばかりではありませんが。



毎日の新聞や報道も心して接していかなければなりません。


テレビに向かって大声で議論するときも常にそういう疑いの目で、そこに論理矛盾はないか?トリックではないのか?


といった目を持たなければならず、新聞やテレビの報道番組を見るのにも疑心暗鬼になりそうです。


それやこれやでアマゾンの本代がまだまだかかりそうです。👀










ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント