そこにいてくれているだけで・・・

父(96歳)のご友人(92歳)が亡くなったということで、私が代わりにお通夜に行ってきました。

父の若い頃からのお友達で、是非香典を持って行ってくれと父に頼まれたからです。

二つ返事で引き受けたものの、葬儀会場に着くと、私の知らない方のご遺影が飾られていました。

この方は本当に父のお友達に間違いないのか?ひょっとして同姓同名の人ではないのか?

うかつにもろくに調べずに来てしまいましたので、

間違っていたらどうしよう・・・と周りをキョロキョロしながら不安な気持ちでお経を聞く羽目になってしまいました。

最後にその人となりのご紹介があって、ようやく間違いでないことが分かりホッとしました。

何とも冷や汗ものです。

私の場合いつもこうなのです。

全てがいい加減なのです。


それにしても、

もしこれが私の父や母のお葬式だったら、どうしたものかと想像してしまいました。

多分、緊張や気遣いで大変な思いをしているに違いない。

60過ぎのいい歳をした、いつまでも常識がない、半人前の私が目に浮かぶようでした。

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父も母も、おかげさまで落ち着いた状態です。

しかし、二人ともいつ何時どうなるかわかりません。

長い長い施設での生活が続いていますが、

生きていてくれている、それだけで半人前の私にいろいろと教えてくれている、

そうに違いないと思うのです。

両親や妻、姉など、私も含めて高齢になると、否応なく「死」を意識してしまいます。

自分が死ぬことは仕方ないけれど、周りの人がみんな死んで、特に妻に死なれたら

「オラ~いったいどうすればいいんだべや~オラ、もうダメだ!」

ある時、そんな悩みを独り言ちたところ、

時々ブログに訪問させていただき、参考にさせていただいている方から

あなたの場合親鸞を読んでみたらどうかと勧めていただきました。

そうだ!こんな時親鸞はどう考えたのだろう?

そう思い早速、野間宏さん訳の「歎異抄」を読み始めてみたのですが、

1回読んだだけでは正直理解できませんでした。

2度3度読んでみるつもりですが、慌てず少しずつ知りたいと思います。


他力本願とは弥陀の誓願を信ずること。ただひたすら信じ念仏を唱えること以外にない。

理屈ではないのでしょう。

しかしそれを悟るには時間を要するのかもしれない。

ただ、読んで少し気が楽になったことは確かです。

信じることの難しさを感じています。


今年植えた野菜類が実をつけだしました。

植物は自然に育ちます。

実に不思議です。
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          (髭が生えたトウモロコシ)
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          (顔を出す大根)
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          (痩せた枝豆)
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          (ドテカボチャ?)
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          (アスパラ伸びた君)
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          (猫よけ猫)
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          (宿敵カラス)












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