憲法を空文化する暴挙

今、日本国憲法の解釈変更をはじめとした安保関連法案がが国会で決議されようとしています。
これは国民多数の支持を基にした憲法改正が事実上困難なため、解釈を変更することによっていわゆる集団的自衛権の一部例外的容認を図るものとされています。
従来の、歴史的に形成されてきた憲法解釈の政府見解を改め、違憲とされてきた集団的自衛権の行使を合憲と解釈することによって、同盟国の国外における危機に対しても積極的に参加応援できるようにする法案と言えます。

自国が直接攻撃されていなくても、いずれ自国に多大な影響が及ぼされると判断されるときに、自衛隊を派遣して問題となる危機を摘んでおこうとするものです。日本も世界の平和を守るため積極的に平和活動に参加しようという考えに基づくと説明されています。
そして同時に、こういう同盟国同士の行動に参加することによって、我が国の今日的危機とされる尖閣諸島等の近辺防衛能力を一層高めることが可能となる思惑が見て取れます。いわゆる抑止力の向上となる考えです。実際、テレビ等の国会論議やその他の討論番組では、国民を守る責任ある政党として、自民党及び公明党はその点を強調しています。同盟国アメリカも、もし中国が尖閣諸島に実効支配を及ぼすべく侵略行為をしてきた場合、黙ってはいないと後ろ盾となることを暗にほのめかしております。今や一国だけでは自国を防衛することはできないという時代的要請があるからと繰り返し説明されています。

こういう説明を聞く限り、それではなぜ国民の6割以上とされる人々が反対するのでしょう?
そこにはいくつかのルール違反と、そもそも日本国国民が歴史的に経験してきた原爆や悲惨な戦争の実態を改めて思い起こす恐怖があるからではないでしょうか。そしてそれは日本人にとってごく自然な気持ちと思うのです。

戦後生まれの私には、70年前の状況がどんなものであったか教科書や新聞テレビ等でしか知ることはできません。終戦記念日や原爆投下の日に、繰り返し繰り返し放送される報道番組で、私たちは戦争の悲惨さを子供のころから学んできたのです。一部有識者の間では、慰安婦問題をはじめ戦後日本の歴史認識に誤りがあると主張される向きがあるものの、戦争に反対し平和を愛する気持ちでは全国民一致しているのではないでしょうか?

我が国の根幹となる憲法は、そんな時代的背景のもと、戦争放棄を高らかに謳い、基本的人権の尊重、国民主権そして平和主義を三大原則として制定されたものでした。これら三大原則は言うまでもなく日本だけの理念ではなく世界共通の理念といっても過言ではないでしょう。
もちろん、世界と一口に言っても、いろんな思想や宗教があり、考え方の違いもあります。中にはISと呼ばれる集団のように、自分たちと異なる考えには相手を殺してもよいという過激な思想もあるようです。しかしこれは人間を殺したり、否定したりするという一点で明らかに許容することはできないでしょう。

このたびの安保関連法案の正当性を主張する現政府やメディアの一部は、ISやテロ集団を持ち出すまでもなく、中国やロシアを念頭に置くだけで、この法案の必要性を語るに十分と考えているのではないでしょうか?今日における時代的要請とはまさに中国、ロシアを仮想敵国として位置づけていると断言してよいのではないでしょうか?もちろん政府をはじめ責任あるメディアがこのようにあからさまなことを発信することはないでしょうが、私のようなレベルの人間にはそうとしか思えないのです。

こう考えると我が国日本は、すでに世界におけるパワーバランスの中で、自らをアメリカ側に置き、はっきりと中国、ロシアに対して対峙する道を選んだといえましょう。新たな冷戦時代に自ら突入しようとしていると考えるのは軽率でしょうか?
前述したように、尖閣諸島をはじめ、南シナ海における中国の実力的覇権主義、また北方領土におけるロシアの実効支配の強化等、日本にとっては我慢のならない脅威です。
要するに、武力をもって実力行使をしてくる国に対し、同盟国と一緒に武力をもって対抗することができるように万全の、切れ目のない対応をしておこうという姿勢かと思います。

つまり、憲法第9条第1項の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」との文言に、真正面から背を向ける格好となります。現に我が国を脅かす国家があるのだから、それに対しては同盟国と共に戦うんだということを鮮明にしたといえましょう。そしてそれこそが、過去日本に対し金しか出さないという批判に対する汚名を払しょくし、互いに血と汗の犠牲を払う覚悟があるんだということの証としたいのでしょう。確かに、我が国一国をもって巨大な隣人、中国ロシアと戦う事は無謀であり、まさに70年前の二の舞は避けられないでしょう。

しかし、その70年前の敗戦を機に、日本の今日の繁栄をもたらした国民性と、それをリードしてきた我が国のリーダーの方々が、粛々と築き上げてきた平和への礎を、それこそ道半ばにして過去に逆戻りをするような憲法無視の法案を、単に必要だからの一言で通してよいものでしょうか?
安保法案が手段として手っ取り早いかもしれません。しかし、平和は長い年月をかけて形成されつつあって、まだ全世界に及ぼされてはいないのです。

憲法第9条があるために、自分の政権のある間に、安倍首相の言う積極的平和主義が実現できないと焦る気持ちもわからないではないですが、それは個人の思い込みにすぎません。決めるべき時には決めるとよく仰いますが、決めるべき時とは、結局ご自分が政権の中枢にある時にということではないでしょうか?
大変失礼な言い方かもしれませんが、私にはそう思えるのです。

本日、9月12日のあるテレビ番組でも、国の重要な安全保障問題で、国会が機能することなく、野党はただひたすら法案を廃案にしようとするのは無責任との議論がありましたが、衆議院のチェック機能を働かせるのが参議院の役割とするならば、この指摘は当たらないでしょう。その法案が修正に値するものならばそれもよし、しかし修正に値するものでなければ、ただ修正に乗っかってこの法案を通しても、多くの国民の納得は得られないでしょう。

私たちは戦争を放棄する以上、戦争を仕掛けてくる国に対してそれなりの覚悟をもって臨まなければなりません。いきなり爆弾を落とされて、さあ外交家の出番です、頑張って交渉してきて下さいなどと悠長なことは言ってはいられないのはもちろんです。しかしそこに至るまでにはプロセスがあります。過去日本がいきなり真珠湾攻撃を仕掛けた時も、そこに至る経緯があった筈です。

そのような過程の中で、今や全人類の英知がそれを回避する時代です。それが積極的平和主義主義の神髄ではないでしょうか。
積極的平和主義の提唱者であるヨハン・ガルトング博士の言葉も、そのようにおっしゃっているやに聞きます。積極的に紛争に参加して我が国も血を流すというのではなく、積極的に当事者となって、紛争や戦いのない世界に貢献することにこそ真の意味があると説いておられます。まさにそのように理解すべきではないかと思うのです。
















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