哲学と宗教を読みながら

前回、ここで


「今年こそ憲法改正を!と叫ぶ面々の正体を見てみよう」と書いたが、


「正体を見る」とは、憲法を変えたい人たちが、どこか悪魔のように見えるかの如く聞こえるのではないか?とふと疑問に思った。


憲法を変えたいと主張することが、あたかも戦争したくてしょうがないとか、天皇を利用して、あるいは天皇の名のもとに国民を支配したい輩の再来をもくろんでいるかのように聞こえないでもない、と思ったのだ。そういう人たちが悪魔かどうかはともかくである。


そう決めつけるのは少し短絡であり、私自身の思い込みに過ぎないのではないかと思い返したのだ。



今、「哲学と宗教 全史」(出口治郎著)を読み始めているが、前段のソクラテスやアリストテレス、孔子や墨子といった紀元前の方々のエピソードをサラッと見ただけでも私の思索がいかに軽薄かを思い知る。

観音様と本.jpg20200207書斎.jpg

<観音様と本>


私の憲法観も私が学んできた狭い知識の範囲で理解しているにすぎないのであって、私の今日に至る思想の形成もきわめて個人的にすぎない。


もちろん私は私自身の考えは正しいと思っているし今日の通説に近いと思っているが、キリストやイスラムを信仰する人たちには疑問に思うかもしれない。


私はキリストやイスラムの教えとは無縁の人生だったからである。(もちろんキリスト、イスラム教等は単なる例示である)


我が国の憲法に関していえば、その解釈をするにあたっては、西洋の思想や宗教より中国の儒教や道教といった教えの影響が大きいかもしれない。


私たち日本人はアジアの歴史を継いでいるので、仏教や中国の道徳が暗黙の裡にベースになっている可能性があるからだ。


憲法における天皇の解釈や9条の問題、さらには前文における個人を最大限に尊重する考え方等は、儒教、道教の教え等からすると少し”過ぎる””と考えられるかもしれない。憲法改正論者はその辺のところが引っかかるのではないか?


その点、まだ私は前掲の本を読んでいる途中なので結論付けることはできないが( ^ω^)・・・。




しかし思うに、本当に本を読むのは楽しい。


自分のアホさ加減がよくわかるからだ。


なんにでもコロッコロッと影響を受けやすい性格からきているのだろう。


実に勉強になるぞい!


次はもう少し読み進めてから考えてみよう。








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